会社はリストラで中間管理職をポイッ!若者にバカにされ男泣きした夜

合併でリストラ。中間管理職が貧乏くじを引く

私は岡山県岡山市に住む、67歳男性です。タクシー運転手をしており、年収は250万円程です。正社員は100名ぐらいいて、20年勤務しました。

私が突然解雇されたのは、もう今から20年くらい前の事です。当時、私は40代で、働き盛りの頃でした。

会社が業績不振になって給料の支払いが遅くなり、仕事も急に変更になったりして、先の不安を考えて、従業員が一人、二人と辞めていきました。

当時、私には高校生と中学生の子供がいたために仕事を簡単に辞めるわけにいかず、最後まで会社にいましたが、とうとう行き詰まり、ほかの会社に吸収されました。

その当時、その会社は若い者だけを再雇用して、40歳以上は切り捨てをしました。

私もその一人で、退職金は雀の涙ほど。今後の生活をどうするかは考えられず、頭の中は白紙で呆然としていました。

「今迄会社に尽くしてきたのに」と、裏切られた思いで一杯でした。

経営者は当然夜逃げで、上層部も雲隠れ。いち早く逃げていたものと思います。

私たち中間管理職が、一番ひどい目に合いました。

厳しい転職に一人男泣き

当然、会社からは解雇です。その時の自分はどうしようもありませんでした。

頭の中は白紙、家族や今後の生活をどうするか考えました。

切羽詰まった気持ちでした。泣き言は言えませんし、誰かに助けてもらおうと思いませんでした。

友人などが仕事を紹介してくれましたが、条件が合わないので決まりませんでした。

とにかく生活の為に仕事を見つけようと、ハローワークにも通い、失業保険で4か月食いつないでその間になんとかと思いました。

だけど40過ぎの年寄りではいい仕事はありません。いかに今迄恵まれていたかを痛感しました。

面接に行って、その会社の若い者にいいように扱われて、本当に悔しくて、家に帰ってから妻子に見られないように布団の中で泣きました。

生活は切り詰めれば何とかなる

私は家を購入していましたので、ローンがありました。今まで少しずつ支払いを前倒しで払い、支払い年数を30年から25年にしていました。残ったローンのうち、ボーナス払い分を親にお金を借りて払い、毎月支払うようにしました。

子供の学費ですが、高校は公立を受けることとし、もし私立だったら奨学金を貰えるようにしました。結局、2人とも公立でしたので学費は助かりました。

通学は自転車を使い、自分も車を今までの普通車から、軽四輪車に変えました。妻も自転車通勤にして経費をかなり浮かせたのです。

食費は妻がスーパーにパートで行っていましたので、いつも野菜やお肉はいただいて帰ってきていたので、かなり助かりました。

ですので、節約すれば何とかなりました。

家族で協力し合って乗り越える

解雇されて真っ先に不安がよぎったのは、生活ですね。家族4人の生活が出来るかの不安がありました。

家族会議を開いて、これからの生活がいかに厳しいかを皆で共有して、家族みんなで乗り越えようと言いました。

すると、皆が協力をしてくれ、乗り越えてきました。

子供の学校もそうですが、今後は旅行や遊びにはしばらくはいけないと思うと、寂しくなりました。

家のローンを毎月払いにしましたが、病気や事故などで倒れたときにどうするか、本当に不安でした。

私は、病気も事故も出来ないと決意したのです。

それが良かったのか、少々の熱ぐらいでは仕事も休まず、それが評価されてバイトから正社員へ採用されました。即戦力として若手と一緒に頑張り、リストラされてから3年たってボーナスをもらうようになりました。

災い転じて福となすです。

自分で人生を切り開く覚悟を

解雇された会社も、少しだけですが退職金をくれました。

次の会社の責任者は支度金を手配してくれて、税金問題も税理士を紹介してくれて手続きをしてくれました。

ハローワークでの再就職のための教育セミナーも紹介をしてくれて、それなりに評価をしています。

解雇に伴うフォローについては、100%期待をしていなかったのでそれで良しとしました。

早く会社を離れて、次の仕事を見つけて頑張るつもりでしたが、それが結果的には良かったと思います。

いつまでも過去に縛られては前に勧めません。私は会社に頼るつもりは少しもなくて、すべてを失うかもしれないけど、そこから少しずつ上に這い上がることが一番だと思います。

しかし、それでも色んな人に助けられ、アドバイスを受けていくうちに、人間は一人では生きられない、助け合うものだと知りました。

苦しくても、必ず見ている人がいる

転職で最もネックになったのは、自分の年ですね。40歳を過ぎたらいい仕事はありません。ハローワークに行ってよくわかりました。

雑用しかないのです。バイトでは家族を養えませんし、惨めな気持ちになりました。

「人生の敗北者」という気持ちを充分味わいました。この時のことを思えば、今は年金を貰いバイトで生活できるわけですから、気楽なものです。

同じバイトをしても、生活が懸かってるのとお小遣い程度を稼ぐのとでは、全然違います。

最初は紹介された会社に準社員で入りましたが、3か月もすると要領も覚えて人よりも効率よく、早く出来るようになりました。

それを担当者が評価してくれて、前の会社での仕事を知り、正社員に採用されました。

この時は本当に男泣きをしました。家に帰り、家族に言ったらみんな喜んでくれました。

人は麦のように踏まれて強くなる

人生は「一寸先は闇」と言いますが、まさに自分はそうだったと思います。

20代30代の時はこのまま定年まで楽していけると思いましたが、40代で大きな穴がありました。

しかし、今考えればそれが自分には良かったと思います。

「冬の後には、必ず春がやってくる」というのは本当ですね。厳しい冬があるから暖かい春の喜びが分かります。自分の人間としての深みが増したような気がします。

人は、麦のように踏まれて強くなるのですね。試練を受けて初めて成長すると思います。

「神様は人に耐えられない試練は与えない。」と言いますが、本当だと思います。

自分の知り合いでも同じようなことを経験された人がいます。

ある人は見事乗り越えて自分で会社を興して成功されてますし、ある人は自殺をしています。人それぞれです。

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