スーパーで定期的に開催される「くじ引き」に当選しない!

ささやかな運試しでも絶対ハズれる

私は59歳の男性で、サービス業に従事しており、月給は33万円程もらっています。

私と妻は、スーパーマーケットで定期的に行う「くじ引き」を楽しみにしています。

買い物をするごとにポイントがたまり、そのポイントが一定額たまるとくじ引きする権利を得ることができるのです。そのくじは外れても1回につき20円がプラスされる仕組みとなっており、1等3,000円、2等1,000円、3等500円となっています。

妻と一緒にスーパーに行きくじを引くことになるのですが、妻の当たる確率に比べ、私は極度にその確率が低いことを目の当たりにします。

10回引いて3回当たればいい方ですが、考えてみるとそれでは3割ほどの確率になりますから、実際はもっと低いのでしょう。

どうもそれは、私が「欲を露わにする」からなのかもしれませんし、世の中に対する徳が少ないからかもしれません。

こんな私の金運レベルは、10から1の間で(1が最も金運ない)「レベル3」ぐらいだと思います。

一つ一つの積み重ねが結果を呼ぶ。それが運だ!

そのようなことが続く中で、自分には運がないことがよくわかりました。

よって、運というよくわからないものを相手にするのはやめました。

一つ一つの積み重ねを重視し、金運に頼らなくとも成果が上がるよう、人以上に努力すべきであると考えますし、またそうすることが、自分に与えられた道なのではないかと思うようになりました。

だから自分には、パッと何かが急に開花するような、派手なことは起こらないと思います。またそのようなものを望むこと自体、自分には無理があるのではなかとさえ思うのです。

そうではなく、自分には積み重ねていくこと、地道にひたすらに前を向いていくことが求められているのだと考えます。

そうすることで、「パッと咲く人生」は得られなくとも、「確かなもの」を得ることができるのではないかと考えます。

神様はちゃ~んと見ているゾ!

運とは神様が与えてくれたものかもしれないと考えます。

だとすると、「運のない人間とは、神様に可愛がられない人間ではないか?」とも思うのです。

神様に可愛がられない人間とは、人に対して喜びを与えられない人間なのかもしれません。

人のために何をすれば人は喜んでくれるのか。

自分の利益よりも、人の嬉しがる笑顔を見るにはどうすればいいのかを考えることは、福を呼ぶ行為だと思います。

そのような行為をする人は、神様に可愛がられるのではないでしょうか。

逆にいうならば、自分のことだけを考える人間、自分の利益だけを考える人間というものは、人から嫌われ、神様からも見放されるものかもしれません。

そうでないようにするには、人に対して徳を与えることであり、人のために事を成すことだと思うのです。

これだけは伝えたい!お爺ちゃんの知恵袋

私は「金運をアップさせること」を、「人のために何をすることができるか」ということと置き換えて考えます。

人といっても大勢の人がいますから、自分は誰のためならば尽くすことができるか、と考えた場合、まだ見ぬ孫のためならば、それができるのではないかと考えます。

またそれは自分の孫だけではなく、孫のような「若い未来ある人」に対して、置き換えることもできるかもしれません。

そうした場合、私が彼らに対してできることは、自分が生きてきた人生において、「これだけは、伝えなければならない」ということを伝えることだと考えます。

その伝え方として、私は自らの信念を物語にし、それをいつしか彼らが読んでくれた時に、その効果が出ればと考えます。

彼らが道に迷い、どう人生を歩んだら良いか判らなくなった時に、それが多少でも役立てば、こんな良いことはありません。

お金は自分の労働を「対価」に変換する媒介役

お金とは、行動や労働を一時的に何かに変換するまでの、つなぎのようなものです。

ただその額は、人の感情や評価によって正しいものではない形が、変形したものになっている場合もあるようです。しかしお金となった場合には、それ以前にどのような経緯があろうとも、全体的な数値としてそれは評価されることになります。

その絶対的評価から逃げることはできませんから、それは時に非常に厳しいものであり、時に嬉しいものでもあります。

嬉しいものというのは、予期しないことでそれが手に入ることがある場合もあるからです。例えばくじに当たったとか。

その思わぬ運というものは、遠回りに巡ってきた自分への評価かもしれません。自分の行いに対する、神が与えてくれた評価なのかもしれません。

ストーリーで運をつかめ!

運があるとかないとか、それだけで評価したりしなかったりするのではなく、そうなるべきこと、そうなるストーリーを考えてみるのも、一つの手ではないかと思います。

運のある人は、運がつくようなことを何かしらやっているものです。

いや実際のところ、行為はしていないかもしれませんが、気持ちの面でそれが手に入りやすい思いというものを持っているのかもしれません。

だからそうするにはどうすれば良いかを考えてみることも必要となるでしょう。

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