職人として独立する夢をぶち壊され自殺を考えるまでに

前職では建設現場で働いて腰を痛めた

私は33歳の男性です。以前、福岡県福岡市にあるシャッター施工の下請け会社に勤めていました。

この下請け会社に勤める前は、楊重工(ようじゅうこう)と呼ばれる建築建材を運ぶ仕事に従事しており、扱いはバイトでした。楊重工の仕事とは、建築現場にトラックで荷物を運んで来た資材を、トラックから奥の倉庫へ運んだりする仕事です。

そこでの給料は30万円前後で、「現場単位」で給料がもらえる仕組みでした。楊重工では、自分がどれだけ働いて現場をこなしたかわかりません。確実に言えるのは、こなした現場の数の分だけの給料は多分払われていなかったということです。

自分も仕事のし過ぎで、どれだけの現場をこなしたかこなしたか把握できてない状態でした。働きすぎで思考が停止し心身ともに疲弊して、腰も痛め病院に行きました。

楊重工の現場では、腰を痛めたのに「何にもなっていない」といわれて相手にされませんでした。

そんな時、肉体的にはまだ少しはマシな「重量シャッターの施工業者」の特別販売反の職人から「うちに来てくれ」と声を掛けられました。それで時間を作ってその人と食事に行き、話をして入社しました。

シャッターを施工する親方からの引き抜き

重量シャッターをやっている親方と話したとき「このままずっとバイトだと将来が不安だろう?」と言われました。
自分が「そうですねと答えたところ」その人はこう言いました。

俺の所に来たら独立させてやる、今働き手が少ないところでここでお前が頑張れば、将来的にも重宝される

心身疲労・思考停止の状態で決めてしまった転職

重量シャッターの親方は、一人親方でやっているため、楽させて人をたくさん入れて儲けさせてやろうという気持ちが見えて安心でした。

その親方とは、給料面についても話をしました、

月固定で20万で残業なしでどうだ?と言われ、残業がないなら体も休めれる。前職と比べて給料は下がるが将来性があると思い、心身疲労状態で思考停止していながらもそこで働こうと決断をしました。

自分のキャリアアップにもつながると思い、働くことを決意しました。

そして、交通費についてはその一人親方の家まで車で向かう分のガソリン代を払う約束をしました。

それ以外に親方と約束した勤務条件は下記です。

  • 月20万円の給与
  • 残業なし
  • ガソリン代支給

独立できるように育ててやるといったのは嘘っぱち

しかし、入社してみると、面接の時とはまるっきり話が違っていました。

入社後独立させてやるといいながら、仕事を一切教えてもらえませんでした。

私が自分でわかる範囲の仕事を全部こなしたりした後、見よう見まねで仕事をしようとすると、「俺がやる」と言って仕事をとりあげ、覚える機会を取り上げ、経験を積まさせてもらえませんでした。

私は雑用をやらされたり、2人や3人でやるような力仕事を一人でやらされました。

挙句の果てには、「お前のせいで仕事が遅くなった」と言われる始末。

当時の勤務は、朝5時に出て仕事が終わるのが大体平均23時過ぎ。睡眠時間は3時間で、1日4現場回ったりしていました。

面接で合意してないことばかり

仕事を始めてみると、面接で合意していないことばかりさせられました。待遇も違います。

  • 独立させるための仕事の経験や知識一切積ませてもらえない
  • 一日約18時間肉体重労働をして、残業代も一切出ない
  • 運転手当も一切出ない
  • 社会保険、雇用保険も何もない
  • いくら働いても、20万円を超えることはない
  • 時給換算すると約427.35円

このように、当初の話とは何もかもが全然違っていました。

残業代が支給されず生活がめちゃくちゃに

残業代が支払われないことで、同棲していた彼女との生活のための貯蓄や交際費、祝い事、結婚に向けてのいろいろな事、生活も厳しい生活でした。

車の維持費も払えなくなり、遠方に行った時のお土産など家庭を大事にするために使うお金がなくなりました。二人で外食にも行けない、オシャレなプレゼントや旅行にも連れて行ってあげれない。

腰が痛くて病院に行きたくても病院に行くためのお金がない。

安全を守るための、消耗品の現場で使う安全靴を買い換えるのでいっぱいいっぱいでした。靴下や普段生活で着るような服、や下着、本当に買うお金がほとんどなく困窮しました。

生命保険などの医療保険に入る余裕すらない、遊ぶお金もない、車の駐車場でさえ払えなくなってました。

親方は殺したいほどのクソ野郎

最初のころは下積みだと思って、文句を言わず、しっかり一生懸命に働いて、認めてもらおうと考えました。

相手に楽させて沢山儲かれば、人も新しく雇って大きな会社にしていける。そうしたら、俺も自分で独立したときの肥やしになると思い頑張っていました。

ですが、親方は、仕事をしていても、お前のせいで仕事が遅くなるとか、お前なんかまだまだや、とか言ってきます。他の人の前では「仕事を教えてやらないかんやろう?」と言いながら、私にさせるのは雑用の仕事ばかりです。

しかし、他の職人の前では、鉄の板を切断するのを私に見せるだけです。それをわざわざ人前でやっていい顔をしていたりしました。

ある日、遠方への遠出でよったサービスエリアで、私は彼女にお土産を買いました。それは、自分のご飯を抜いて買ったお土産でした。そうしたら、親方は「自分だけ買いやがって」と帰りの車で文句を言い始めました。

そういった状況が続いていたため、殺してやりたい、こいつの家を放火してやろうか、事故に見せかけて高いところから落としてやりたいなど殺意すら覚えてしまいました。

親方のせいで精神は崩壊寸前

それと同時に、仕事が長時間の為早く終わらせて家に帰ってプライベートを過ごしたいという思いから、せかせかするようになりました。

お金もなく、仕事も終わらない、それが強迫観念になって落ち着かなくなりました。

疲れ切って、反抗する気力もありませんでした。自殺しようと思ったこともありました。

博多労働局の担当者も役立たず

こうした不正長時間労働の対策として、私はカレンダーに仕事に出た日にちに印を付けていました。

それ以外は仕事で疲れすぎて、何も考えられず対策はできませんでした、

最悪、労働基準監督署または労働局に相談に行けば相談に乗ってくれてなんとかしてくれると思っていました。なので、苦しめた分お金を取って、最悪仕事を辞めるか、労働環境を改善してもらうように頼めば一発だという甘い考えでいました。

個人的にタイムカードを購入し、朝家を出た時刻と帰って家に着いた時刻を最低限取りたかったのですが、それらの機材を買うお金すらなかったので無理でした。

仕事から帰ってきて彼女とのコミュニケーションをとり家の事をこなしていたら、対策なんて考える時間も暇もなくジリ貧でした。

とうとう、どうしようもなくなった時に「労働局に助けて下さい。」と駆け込みました。しかし、博多労働局の担当者二人の対応は「やめればぁ?」というだけで帰されました。

労働局くたばれ!!

今頃は彼女と幸せな生活を送っていたはず

約束通りに残業代が支払われていたら、結婚して子供ができていたかもしれません。

それに、転職などの他の道も選べて対応することができたかもしれません。お金が払われていたら、もっといい場所に転職または裁判をしてお金を請求できてました。

家族を持ち、子供を作り、悠々自適な生活ができてたと思います。

リーマンショックが来ることが分かっていたので、仕事から帰ってきて金融商品などの投資など勉強していたと思います。だから、あの時にお金が10万円でもあれば億万長者になれてたと思います。

きっと旅行にいったり、勉強して自分で商売始めたり、きっと楽しい生活が送れていたでしょう。結果論ですけど。

精神が壊れてしまったので、あの時にお金があれば精神病院にも行き、社会復帰への道も早くなり、友達とかとの付き合いも楽しくでき過ごせてたと思います。

無念で仕方ありません。

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