リーマンショックの大不況で就職した中小企業は拘束時間が14時間

有名大を卒業しても大企業は就職難

私は20代後半の男性です。東京都新宿区の建築業社で働いていました。

私が就職活動をしていたのは2010年でした。

当時はリーマンショックにより景気が低迷し、大手企業でも採用枠を減らしたり、有名企業であっても本年度は採用をしないと発表する会社もあったほどでした。

私はMARCH卒でしたが、大手企業は厳しいと考え、優良な中小企業に就職しようと思い就職活動をしました。

多くの会社がありましたが、入社した会社は営業粗利率が非常に高く、経営も安定しており、また商材も独特なもので面白かったです。

また社員の方に魅力的な方が多く、男性も女性も尊敬できる方が多かったです。

若い社員が多いというところも、今考えれば危ないとわかりますが、当時の学生の私には馴染みやすい環境と思い、入社を決めました。

典型的な「ワンマン社長」

給与は支給27万円と、新卒では異様な高さでした。給与は問題なく全額支払われていましたが、残業代は見込み残業として1/4が最初から盛り込まれていました。

つまり基本給はやはり20万円前後という事になります。またこの給与は年俸制に近い考え方であり、賞与というものは営業マンには存在しませんでした。

コミッションという制度があり、成績が一定以上の営業マンには支給をされていましたが、遅刻1回につき何万円マイナスなどと、何かと理由をつけて減額してくる社長でした。

営業を終了して良いのが午後6時で、それから帰社しミーティング、そこから事務処理なので退社は毎日午後9時頃でした。

なぜこんな長時間拘束ができるのかと騒いだ人がいましたが、労働契約書には休憩時間3時間が含まれているので違法ではない、ミーティングも自由参加なんだと言い張っていました。

サービス残業が横行

就労条件は週休2日、月曜~金曜、9時から18時でした。

しかし実際は、始業は午前9時なのに、8時半に出社すると「遅い」と上長に怒られます。怒られないラインは7時半でギリギリです。

つまり早出でのサービス残業が暗黙の了解だったのです。

また「4週6休」などという勤務体系になっており年間休日は79日でした。後で確認したら労働契約書には89日との記載があり、これは有給休暇10日を追加した数字でした。

夜のミーティングが午後7時スタートなので、そのミーティングに1時間かかり、その後、事務処理を行いますので、退社は午後9時や10時が当たり前でした。

そのようなミーティングがあるなどとは、入社前には当然知らされていませんでしたし、朝早く出社しなければならないというのも入社後に知った事です。

こんなに拘束時間が長いと知っていたら入社しませんでした。拘束時間は1日14時間ほどだったので時給に換算すると、とても低かったです。

オレは「定額使い放題」の社畜だった

月給27万円、支給で24万円ほどでしたが、住宅補助などはなく自腹でしたので、家賃が高くつきました。

社長は会社の近くに住めというので都内に住むように促され、狭いワンルームに寝るだけに帰っていました。

拘束時間が長いので疲れ果てて自炊はできませんし、帰宅が遅いので退社後にすぐに食事したくなりますから外食がほぼ毎日でした。

そのためエンゲル係数が高かったです。また不健康な食事のせいか、風邪もひきやすかったと思います。そのための医療費なども含めると大きな負担でした。

会社の付き合いでゴルフも半ば強制的にやらされていたので、道具代やプレー代も負担でした。

残業代は見込み残業代だったので、定額使い放題社員の完成です。経営側にとっては非常に使いやすいシステムだったと思います。

使命感を持つことで耐えてきた

営業マンでしたので、残業代が出ない件についてはある意味、納得していました。

しかし自分の成果を過小評価され、コミッションが少なかった時は、会社に対する忠誠心を失いました。

それまでは、会社の発展のためならと思い業務に邁進し、新規顧客の開拓も積極的に行っていました。

いざ制約するとそれは会社の力だ、営業マン個人の手柄ではない、という論理で減額を言い渡されました。

そして得た利益も半分は会社の看板でとったのだから、コミッションも半減と言われた時、この会社に、社長に忠を尽くすのは辞めようと決意しました。

今思えば、会社や社長に忠義などとは、ちゃんちゃらおかしいのですが、20代前半の若者にはそういった感情的なモチベーションが必要だったのです。

限度を超えた労働時間

不当な労働に対する対策として、退社する時に会社メールから自分の私用メールアドレスにメールを送り、退社時間の証拠としていました。

また、オフィス内とわかる写真に、自分の腕時計を写り込ませ、社内にいる時間の記録をとりました。これらはスマートフォンで撮影していました。

また、ミーティング中に成績が悪い営業マンは、執拗に叱責を受けていました。多くの社員がいる中で、です。

泣き出す社員もいたほどなので、十分なパワハラだったと思います。特にひどい時にはこっそりスマホで録音し、証拠にしようと思っていました。

早朝の出社(午前6時半など)や休日出勤、夜勤明けなどにも業務報告のメールに、BCCで自分のアドレスを追加して証拠としていました。

いくら三六協定があるとはいえ、度を過ぎていると感じていました。

唯一の救いは尊敬できる先輩

拘束時間の長さが最大の問題だったのですが、もしそれに見合う残業代、もしくは成果に対するコミッションがあれば、それをモチベーションに仕事を続けていた可能性があります。

成果が正当に評価され、その報酬が支払われるならば、会社を発展させるために業務に邁進したと思います。

報酬というのは経営者から労働者への誠意だと思います。それを不当に支払わない経営者からは人が離れるのは必然です。

社長は嫌いでしたが、社員の皆さんは良い人が多く、尊敬できる人も多かったです。

多少の労働時間の長さも、見合う報酬があれば続けることもできたと思います。思うに、ギリギリの賃金で拘束し、長時間働かせることで、転職させないという狙いがあったのだと思います。

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