インフルエンザで40度の熱があるのにスロットにいって10万円負けた

7万円勝って味を知ってしまった

私は36歳で栃木県鹿沼市に暮らしています。現在は製造業で勤務しており、収入は25万円です。

始まりは、18歳の頃会社の同僚がスロットで1万勝った等の話を聞いていただけで、これといって興味はありませんでした。

しかし中には4万、5万という大きな額での勝ち話しも聞くようになり、遂にはその月は「給料を一円も使わずにスロットの勝ち金だけで全ての生活が回せている」等の話を聞いて興味を持ってしまい、それだけ稼げるのなら・・と付いていくようになりました。

そこで負けていれば良かったのかも知れませんが、ビギナーズラックなのか初めてで7万円というそこそこ大きな金額での価値を経験してしまい、味を知ってしまいました。

3か月で82万も勝った時の興奮は忘れられない

スロットやパチンコにはまっている状態なのですが、特にスロットには大きくのめり込んでいます。

特に10年ほど前の4号機世代のときは、自分で振り返っても目も当てられないほどに荒れていたかと思います。というのもこの4号機は、出方が半端ではなく自分がプレイしていた台では一回のビッグボーナスで1万4000円が払いだされる機種でした。

しかもそのボーナスが5連~10連と続くこともざらにあるモンスター台でした。

一番勝ったときで日に34万円、さらに翌月も25万勝ち、さらに翌月23万と3ヶ月で82万も勝ったと言う過去があり、その時の興奮は今でもはっきりと覚えています。

そんな爆発性を秘めている台のボーナス確定音。

この確定音が全ての始まりなので、これを耳にした瞬間が最高の高揚感を得られるときかと思います。このボーナスがビックだった場合、ここから大連ちゃんが始まるのでは・・という可能性があるので、嫌でも気持ちが上がります。

インフルエンザになってもスロットに打ちにいく

そんなスロットも、当然ですが勝ちだけが続くわけではありません。

一般的にギャンブルは負けるもの、マイナスになるものだと言われていて、自分も細かく計算したことはありませんが負け越していると思います。

それでも仕事やほかの事でちょっとした臨時収入があれば迷うことなくギャンブルに使い込んでしまいます・・。

もっと他に使わなければいけないことは分かっているんですが、それでも気付くとスロット台を前にして、紙幣をメダルに替えている自分を客観的に見たときには、ふっとなんともいえない気持ちになることがあります。

一番堪えたのは、インフルエンザで40度近い熱があるにもかかわらず、「仕事を休めているなら折角の時間を無駄に出来ない!」と、スロットを打ちにいって10万円負けたときには流石に自己嫌悪でした。

スロットのイベントデーだから約束をすっぽかしてもなんとかなる

ギャンブルにはまってからは、悪い意味で楽観的になりました。

「ギャンブルに負けたところで今月の給料が消えただけ」「また来月の給料まで待てば良い」「どうせなんとかなる」と、思うようになり、他の事にも多少回していた金額を全てギャンブルに回すようになりました。

そうしてるうち、「負けても給料日まで待てばどうと言う事はない」という考えが他の事にも及ぶようになってしまい「待ち合わせに遅れてもただ遅れただけ。適当に言い訳すればなんとでもなる」等あらゆる物事を軽く見てしまうようになりました。

そのうち、約束があっても今日はスロットのイベントデーだし待ち合わせをすっぽかしてもなんとでもなると、付き合いそのものを軽んじるようにまで落ち込みました。

そのせいで当たり前の結果ですが、その友人とは今は疎遠となり一切の付き合いがなくなりました。

「まともな道に戻らなくきゃ」と「戻る必要なんかない」2つの考え

不快な沼地ではまってもがいている気分です。

その沼地はとても不快で、そこでもがいている自分がなんとも情けないです。
しかもその沼地は決して深いわけでなく、たった一つ決意を持ち一歩を踏み出せばいくらでも抜け出せるような簡単なものです。

それは自分自身でもわかっているのですが、それでも抜け出せない。

そんな自分の様が周りにいかに滑稽に見えるのかは想像に難しくはありません。
自分自身でも愚かだと思います。しかしそれでもその沼に腰をうずめてしまう、というよりは沼を求めてしまっている自分が間違いなくいると思います。

「まともに歩んでいた道に戻らなきゃ」そう思う気持ちがある反面、その考えを自分で真っ向から否定してしまう2面性を感じるようにもなりました。

「生活苦」「孤独」それでも頭の中を占めるものは確定音と払い出し音だけ

給料のほぼ全てをつぎ込んでいるので、負けた月は酷ければ給料日から3日ほどでスッカラカンな事もあり、生活そのものがままならないこともありました。

それでも楽観的に物事を考えるようにしか出来なくなっているため、その現状をどう変えるか?などという考えは微塵もなく、これからもこんな生き方でしか歩んでいく道しか見えていない状態です。

こんな自分のため、友人もどんどん離れていってしまい相談等の頼れるような存在もいない。 
しかしそれすらも「だからどうした」としか思えていない。 

だから1日1日が過ぎて行くに比例し、どんどん深みにはまっていくのを痛いほどに感じました。

単純な金欠による生活苦、孤独で支えとなる人間もいない、それでも頭の中を占めるものはスロットのボーナス確定音、メダルの払い出し音でした。

夢を全て捨てた今、無念でならない

ギャンブルをしていなかったら、今頃は色々な世界が見えていたと思います。色々な人と触れ合い、色々な物に出会い、色々な物を知れていたと思います。

もしかしたら俳優になっていたかもしれないし、スポーツ選手になっていたかもしれません。

タワーマンションに住んでいたかもしれないし、海外に住んでいたかもしれません。

別荘でたくさんの友人に囲まれ、おいしい料理を食べていたかもしれません。

素敵な奥さんと可愛い子どもに囲まれて幸せな家庭を築いていたかもしれません。

そんな色々な夢の全てを、時間とお金を振り返ればなんのプラスにもならない煙草臭い檻の中に捨ててきてしまいました。
夢が叶っていなくても、その檻に囚われず平凡な道でもいいから歩めていれば、今よりも充実感は得られていたはずです。

無念です。

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