元旦那の無職時代を振り返って…

元亭主は履歴書もろくに書けなかった

私は30歳の女性で、宮城県名取市に住んでいます。フリーターで年収60万円です。

以前に結婚していた元旦那は私より10歳年上で、夜勤の精密機械製造をしており、以前は年収300万円でしたが、転職して農業をする会社に勤務し年収200万円にまでなりました。年間約100万円年収は減ったことになります。

元旦那は、当初は精密機械製造の夜勤をしており、勤続も20年と長く勤めていました。ボーナスも出て福利厚生の待遇も良かった会社でした。

しかし私の夜間の行動が気になるらしく、誰かと出掛けていないか、自分のいないところで贅沢をしているのではないかと疑心暗鬼になり、とうとう仕事を辞めてしまいました。

次の転職先にあてがあるわけでもなく、毎日求人雑誌を見ては仕事がないと言い、後に転職活動をするものの落ち続けるため履歴書を確認すると、履歴書すらまともに書けていませんでした。

私は正社員で働いていたため収入はあったものの、同居人は全くの0円。

一年ほどその状態は続きましたが、震災バブルで設立した比較的新しい会社に入社が決まりました。金額面で減給にはなったものの、仕事の内容はやりがいがあるらしく続けていくことになりました。

バブル期との感覚のズレ

まず、転職のあてもなく仕事を辞めてきた時は、本当に頭が痛かったと記憶しています。

バブル時代に就職したこともあってか、求職活動に対する考え方がずれていたというのが大きかったのでしょうか。就職氷河期時代の自分には呆れて溜息しか出ませんでした。

とにかく私の給料だけで当面生活しなければならず、しかし何故かその時は「自分が頑張らなければならない」という気持ちの方が大きく、不思議と、苦労したとか、辛かった、働いて欲しかった、という気持ちは何年も経った後でじわじわと生まれました。

極貧生活でも酒はやめなかった

普段の生活では、煙草などの嗜好品は最低限にし、車よりも歩いて行ける所にはとにかく全て歩き、衣類の新調はほとんどしませんでした。

それまで料理については出来合いのものが多かったのですが、完全自炊になり、毎日苦戦しながら料理をしていた覚えがあります。旅行、娯楽については本当にさっぱり切ってしまい、散髪もお互いに切り合うような生活でした。

しかし、お酒にかかるお金は絶えず出費され続け、たまに休肝日を設けてはどうかと言えばそのうち、と返ってくるほど毎日出費されていました。

あの時、断固として週に数日の休みを設けるべきだったと思います。そのお金があれば、穴のあいた下着や膝の薄くなったズボンくらいは買い替えられていたのではないでしょうか。

貧乏生活のせいでうつ病が悪化

自分自身に回すお金が全くなかったという事が苦しかったと思います。

切りつめられるところでは外食、友人との外出、自分の趣味、洋服の新調、とにかく我慢しました。我慢したというよりは、本当にお金がなかったので我慢以前の問題でしたが。

何より困ったのが、仕事で「うつ病」になってしまった時でした。普段からかなりたくさんの項目を切りつめている家計では、定期的に通院するお金はもちろん、薬代が馬鹿になりませんでした。

しかし毎日薬を飲まなければ、病状はあっという間に表に出てきます。精神面はもちろん、肉体面でもだるさや耳鳴りなど耐えがたい苦痛があり、かといって風邪のように熱が上がったり咳が出るわけでもありません。言葉で訴えるしかないのです。

残念ながら理解してもらえず、後にもずっと付き合う病気になってしまった事が悔やまれます。

元旦那にはコンビニのバイトでもして貰ったらよかった

元旦那は、無職の間はとにかく楽天的でした。「すぐ仕事なんて見つかる」「俺はやればできる」「企業の見る目がない」など、今思えばよくない兆候だと思います。

それでもはっきり言う性格でない私は、その言葉を肯定していた面がありました。苦しくても、この人には早いうちに仕事が見つかると思いこんでしまったのです。

しかし、彼の性格が大きく変わったように見えなかったので、当時の自分の浅はかさを感じます。

元々大手の会社を辞めた理由が私の夜の行動が気になってどうしようもなくなったという事を話しているので、自分のせいだと思っていたところもあるのかもしれませんが、今なら、コンビニであろうと何であろうと少しでも働いてもらっていた方がいいと後悔しています。

貧乏なときは「行方不明」と友人に思われていた

年収は減りましたが、両家の両親共に態度の変化はなく、むしろ「お金よりも大事な事があるのではないか」という事を諭してくれていたと感じます。お金の事に関しては全くノータッチで居てくれたのは、何か事情を察していたのかもしれません。

ただ、こういう貧乏生活を続けていくと、友人関係については劇的な変化がありました。外食はおろか外出もままならない家計でしたので、連絡を取る事さえありませんでした。また、連絡があっても話をすると出掛けたくなると思い、全く付き合いを遮断していました。

お陰で友人にお金を借りるような事もありませんでしたが、事後となった今では「連絡さえ取れなくて行方不明の期間だった」と揶揄される事もあります。

そこまでする必要があったのかは、今でも判断が付きません。

無職で収入がないのに旦那は何もしなかった

年収が減り、精神的に疲弊していった私はついにうつ病になり、仕事を休職せざるを得なくなりました。

幸い有給や病欠扱いの規定があり収入にはあまり困りませんでしたが、それでも元主人は無職の期間が多く、二人で家に居てお手上げの状態でした。

私は会社に籍がある以上副業の類は一切できず、かといって元旦那は仕事も決まらず、アルバイトもしないので、年収を補うためにした事は全くと言ってありませんでした。

むしろ、金銭的に不足が生じる月が出るととうとう生活費としてローンで生活費を補った事がありました。別れた今となっては、これで将来に不足が生じたら難しいなと感じる所です。

それとは別に強いて言うならば、私の所有していた本やCDを大量に売ったりしたことはありました。雀の涙とはこのことかと思うほどの少ない額でしたが。

「金がすべてではない」けど、やっぱりお金は大切

つつましい生活のまま以前の年収に戻れるのならば、かなりの額を貯金に回せると感じています。

貯金でなくとも、ボロボロで限界が近かった車を新しい車に更新できただろうかとも思います。しかし、私達は金銭的に追い詰められた時から、残念ながら破局の方向を向いていました。

つつましくも幸せであったはずですが、金銭的に余裕がないと人間は追い詰められてしまうという事を痛感した期間でした。

恐らく、衣食住の費用を抑えている時よりもずっと、金銭的な余裕がない事による精神的な苦しみの方が大きかったと思います。世の中金ばかりではないというものの、金銭的に苦しまないような人生を送りたかったと思っています。

今は年収も資産もある人と生活しているのですが、あの頃のつつましく生きる気持ちは、年収が下がって手に入れる事が出来た良いものだと振り返ります。

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