数時間で10万円を失った39歳男性

熱狂的な雰囲気が自分に合っていた

私は39歳男性で、兵庫県神戸市で暮らしています。現在はフリーターとして働いており、収入は手取り1万2千円です。

自分でもここまでギャンブルにハマるとは思っていませんでした。

高校生のころ、友人の誘いで何度かお店に行くようになり、興味のある台をしてるうちに色んな想像力が働くようになって知らず知らずのうちに泥沼にはまってました。

きっかけは本当に些細なことだった思います。あまりにも単純で、明確な答えもないまま学生生活を送っていたと思います。

そんな中で賑やかなBGMと、楽しそう雰囲気、なんとも言えない熱狂的な空気が漂っているのが、僕には当時、非常に合っていたので、はまっていく状況になっていきました。

他では味わえない魅力と快感

やはり何と言っても最大の魅力は、新台入れ替えがあるというこということです。

その時その時、時代に合わせた台が投入され、魅力的に感じ、めくるめく時間を過ごすので中毒性があると言えるでしょう。

そういったお店のイベントや、キャンペーンガールの応援などで居心地が良いのも魅力の一つではないでしょうか。そこには他のギャンブルでは決して味わえない魅力と快感があります。それが中毒性に繋がってゆき、色々勉強させてもらいました。

あまりにも漠然としますが、新台入替となるとまた台数が限られてきます。昔はその狙いの台を獲ることに何よりも必死でした。獲れたことで変な安心感も同時に噴き出してました。

そういうことで、いまでは抽選になってしまっているので並びが全く関係ありません。

10万円をわずか数時間で失った

いちばん幻滅したときと言えば、1カ月の給料を1日で無くなってしまった時です。

もうその時の感情で言ったら計り知れないぐらいの気持ちで、表現するのが嫌になるくらいになりました。いま思い返しただけで胸焼けをするというか気持ち悪くなってきました。

いま思えば自分の行いにも関わらず、当時はお金よりもその一瞬一瞬の快感や魅力に憑りつかれてしまったことも、いまとなってようやく気づき、お金の儚さや自分の愚かさに幻滅するほかにないです。

「後悔さきに立たず」という言葉があるように、あまりにも無頓着な考えで自分の首を絞めつけてしまい、約10万円モノ大金をわずか数時間で失ってしまうのですから、あまりにも執着心がないのかと思います。

無駄に過ごした時間に後悔はない

きっかけを作ってくれたのは友人でしたが、あとの自分の行動を決めるのは己でして、人付き合いに関してはあまり変化のないものの、行動は明らかに激変したと自分でも思います。

勝負事が終わった後でも頭の中はそのことでイッパイですし、時間があれば足が勝手にお店に向かってました。あまりにも漠然でどうしようもなく、24時間の1日の中で制御、洗脳されていたことは確かなことです。

そのことによって、この限られた時間をあまりにも無駄に過ごしてしまったことは隠されない事実であって、しかしそこには拭えない後悔などはなく、そのままの時間が流れていたことは、時間が立証されたものであると確かめました。

さすがに、性格までは変わらなかったです。

ギャンブルが唯一のストレス発散

私の場合は気分の話ではなく、色んな趣味を持ちすぎてしまい、ポッカリ穴が空いたときに店に足を運んでしまいます。

あとは、ムシャクシャしてるときはやめられなくってしまいます。

例えば、女性がショッピングでストレスを発散するのと同じように、お金を使うことで、いつの間にか溜まってしまったストレスをギャンブルというカテゴリーに放り投げていました。

唯一の掃き溜め所になってしまってました。

ほんとうに人間というのは欲で出来ている所もあり、そのような感情でイライラしはじめた自分を制御できない状況に追い込んでしまうのが、典型的なギャンブル依存症の一つだと思います。

あとお酒を少し嗜むのですが、そのほろ酔いな気分もやめられない原因の一つだと思います。

働いているのに浮浪者並みの生活を送っていた

ギャンブルにハマってからは、一日3食のところを夜ご飯だけ食べるようになったり、節電を積極的に取り組んだりと、省略できるところは限りなく近いところで切り詰めることができます。

確かに苦しいかもしれませんが、その逆行をかえって愉しむことは、私にとって最大の醍醐味を感じる事ができます。

「いままで贅沢していたんかなー」、「わがまま言ってきたんかなー」と、振り返る点はいくらかあります。

ただ、1カ月の給料を数時間で無くなった時は、30日間丸々浮浪者並の生活を送りました。あの時は本当に消えてなくなりたいぐらいになり、あまりにも言葉が見当たらず生きることに精いっぱいだったことを昨日のように思います。

「後悔先に立たず」

「後悔さきに立たず」ですけども、母親を美味しい食事に誘ったり、もしくは他の趣味にお金を費やしたりできたのではないかと思ったりします。あまりにも漠然です。

他に使い道を選んでいたとすれば、きっと違う自分が発見できたと思います。

自分の選択は決して間違っていなかったと堂々と胸を張った生き方をしたいと強くいいます。穢れのある自分は自分で作り上げてしまったのです。

今より少しでも裕福な暮らしを送れていたのかもしれません。こればっかりは憶測でしかすぎませんが、あまりにも漠然とした状況で思い込むことで、いまより少しでも背伸びした生活が送れていたのかなと思います。

ほんとうに憶測でしかありません。

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